2017年1月23日月曜日

叱られたような気がして

私なんかより、ずっとずっと優秀で素敵な若人たちに、多くお会いして、嬉しく楽しい時間を過ごさせていただいています。私があげられているのはただ優しさだけなのに、もらっているものは多く、私には本当に過ぎた方々だと思っております。
万年筆や文房具の世界の多くの人とは、もう離れてしまったけれど、それでもまだ残っている、本当に続けられる貴重な絆があります。今はもう疎遠になった世界で出会ったにもかかわらず、今までずっと友人でいてくれることには、感謝しかありません。

落語の世界には、まだ足を踏み入れたばかりだから、後輩なんて人はおらず、周囲に随分可愛がってもらっています。入ったばかりの今、熱がある今、存分に歩もうと思っています。どれだけ歩めているかはわからないけれど、今は多くに触れる時期でしょう、楽しませてもらっています。

紅茶の世界や中島みゆきの音楽の世界で出会った人はあまりおらず、同じ趣味の人との会話に時折交じるだけだけれども、それでも新しい話をいただき、嬉しく過ごしています。

そして、競技プログラミングの世界。最近、一番多く会っているのがこの世界の方々です。毎回毎回、すごく嬉しく素敵な時間をもらって、この為に生きているなとさえ思えます。しかし、歳のせいにして、自分は歩みを止めているとしか言えないのがこの世界で残念なところです。

そんな競プロの世界で、私よリずっと強く、価値も未来もある若人たちと、楽しい楽しい時間を過ごしているのですが、そんな中で、少し叱られたような気がしました。私は、ちっとも前に進んでいないではないか、と。別に彼らがそんなことを示したわけではなく、ただその会話を聞いて自分が感じただけだけれども。

中島みゆきの「鷹の歌」には次のような件があります。
"私は自分を恥じる 貴方を思って恥じる
 ラクな道へ流れくだる 自分の安さを恥じる"
翻って私を見ますと、私は一体どれほどラクな道へ流れ下っているでしょうか。あまりにも安い自分がいて、情けなくなってしまいました。

私の今年の目標は3つです。
・落語の世界にもっとずっと足を踏み入れる。
・"親友を 悪友と呼ぶ 仲の良さ (桂米朝)" 悪友を増やす。
・私を好いてくれる方々に恥じない自分である。
この3つめの目標を考えた時、私は全く情けなくて、恥だらけであることに気づきます。慕ってもらえる、好いてもらえるような、立派な人間では全く無いのだけれど、それでも好いてくれる人たちがいる。そんな人たちに示しがつかないと、私はそう叱られているような気がしたのです。

残念ながら、今すぐにとは言えない程度には手一杯だけれども、少し落ちつくだろう頃には、少し歩みを進めねばと、そう思ったのです。私のことを、決してそのつもりはなくても叱ってくれる後輩たちに、恥じない自分であるために。

そしてもうひとつ。そんな後輩たちは、私になにかもらってばかりで申し訳ないと言っているから、その後輩たちに伝えたい事を、最後に書かせてください。

そのつもりは無いかもしれないけれど、私は他でもない"貴方"と出会って、多くの嬉しい感情をもらって、こうやって前へ行く気をもらって、温めてもらっている。私があげられる極僅かな優しさを受け取ってくれて笑ってくれる"貴方"がいるということで、私は多くのものをもらっている。だから決して申し訳ないなんて思うことはない。
私よリずっと優秀で、出来た後輩である"貴方"に、私は残念ながら見本になれる人間ではない。けれども、たった一つ、"貴方"より間違いなく深くわかっていることがある。それは、私が"貴方"から、どれだけ多くのものをもらっているか、ということ。私を好いてくれる、その価値は何より大きいから、申し訳ないなんて思うことは全く無い。
素敵な"貴方"へ。願わくは末永く絆を保ちたい。それが、私にとって、何よりの財産であり、貴方が見えなかったとしても、もらっているもの、だから。

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