2015年5月26日火曜日

「返事なし」「声掛けない」は「大切にする」か

個人的に、非常に滑稽に思っていることの一つとして、「人とのつながりを大切にしています」とか「人との交流が好きです」とか言っている人でも、ちっとも返事も声掛けもないもんだ、というのがあります。



例えば遊びに誘ったとしましょう。その誘いの日を過ぎるまで、いや、過ぎてからも何の返信もない。また別のお誘いでメールを送っても、やっぱり返事のかけらもない。そのくせ、自分から用事があるときには返事がある。

何かの媒体で、私が適当につぶやいていたり、雑談していたりするとしましょう。その時、その人たちからは声もかけられることはありません。私が声をかければ付き合ったりすることもありますが。

たまたま遊べた友人(?)が「メールの返事遅くてごめんな」と言っていたり、メールの返事そのものに「遅くなってごめん」と書いている場合は、間違いなく言葉だけです。そういう人に別のメールをした際、催促を打たなかったケースのほうが少ない。「手紙の返事を書きます」もそうですね。

そういう状況で一人だと、心が歪みます。心が歪んで「死にたい」となる時も多数あります。そんな時に声をかけてくれる人は殆どいません。会ったら「心配してた」。私の葬式に出るのにかかる費用でも心配していたのでしょうか。それが証拠に「誰かが声をかけてくれたら」「誰かが誘ってくれたら」なんて言ったところで、行動に移す人は誰ひとりいません。

さて、そんな人が「人とのつながりを大切にしています」とか「人との交流が好きです」とか言っているという現実はどうでしょう。あまりに滑稽であり、「大切にする」と「粗末にする」を混同しているのではないか、と思います。

今まで、コミュニケーションは勿論のこと、様々に誠実に対応してきたつもりです。その結果が、これです。非常に素晴らしい世界だと思います。

もうすぐ、暑中見舞いのシーズンです。「いつも返事をくれなくて寂しいな。」「声もかけてもらえない。」「大切にするとは、返事なしで声掛けないことなの。」今年は、そう書きたいと思っています。たまにははっきり、物を言わないと、ネ。

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