2014年1月17日金曜日

語り継ぎ 伝え 残そう

毎年、この日には似たような記事を書いていますが、今年もまた、同じような記事を書きます。



19年前、当時5歳だった私。何も分からず、ただ怖かった、それだけを覚えています。
私より年下の人には、いや、私と同じ年の人でも、全く記憶にない人がいるかもしれません。
それぐらいの年齢。私の世代と言うのは、あの地震を覚えている、最年少の世代です。

およそ3年前のあの地震を覚えている、その最年少の世代の前でお話する事がありました。
地震の恐ろしさを語りついで欲しい、私は彼らに、その事を一番に伝えました。
ほぼ同じ年齢の頃に、同じく歴史に残る大地震を経験した身として、伝えずにはいられませんでした。
恐ろしさが分かっていないことが、何よりも被害を大きくするから。
恐ろしさを知る事が、減災の最初の一歩だから。
知らない人に、100%の恐ろしさや体験を伝える事は無理だけれども、恐ろしいというそのことが伝わって欲しい。

少し前だったか、神戸の人口の1/3は、地震を知らない人口であるという記事を読みました。
戦争を知らない人が増えたのと同じように、地震を知らない人も増えていく。
しかし、戦争の語り部がいるように、地震の語り部もいなければならないと、強く感じます。
あの頃、幼かった私は、最も長く語り部たることが出来る世代だから、
例え毎年同じと言われようとも、その怖さを語り継いでいけるようでありたいのです。

惨状は資料で分かり、教育で理解できるでしょう。
しかし、体験は出来るものではないし、して欲しくもない。
だからこそ、語り部は、語り継ぎ、伝え、その恐ろしさを残していかなければならないとそう思います。

19年が経ちました。
それでも克明に覚えている怖さと言うのは、どれほど怖いものでしょうか。
わけも分からず、泣くこともできず、身動きすらできない怖さ。
親は、「寝ていた」と言っていましたが、それは違うのです。
寝ている状態で起きたあの地震。私は恐怖ゆえに、目を覚ましていてもそれを表現できなかったのです。

今でも思い出すと怖くなるような、あの怖さ。そして、それによって出た、数々残る資料に描かれた被害。
地震をなくすことはできないかもしれないけれど、怖さを知って、対策を取れば、少しでも被害を減らせるかもしれません。
「19年前の地震は、3年前の地震の被害を減らした」と言われることもあるけれど、それでも大きな被害が出たのが3年前の地震でした。
語り部として出来たことは何でしょうか。語り部として出来なかったことは何でしょうか。
3年前の地震の被害が、言われたとおり減っていたなら、それは語り部として出来ていたことで
3年前の地震の、減っていても大きすぎる被害は、語り部として出来なかったことに他ならない。

遅すぎないうちに 間に合う今のうちに
出来る限りのことをしよう
幸せ運べるように

兵庫県南部地震・阪神淡路大震災から19年が経ちました。

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