2014年1月13日月曜日

成人の日に思うこと

成人の日、多くの"大人"が生まれる日。私自身は4年前、特に何の喜びもなく、むしろしんどいものだと思って迎えたこの日ですが、その頃から今に至るまで思っている事を、ちょっと書いてみたいと思います。


成人の日を迎えた新成人がおよそ成人とは程遠いような行為で捕まる、等と言う報道が少し前にありました。これを受けて、マスコミなどでも、これは成人した大人の行う行動ではないというような事を盛んに報道していました。

人に迷惑をかけないような「気配り」「礼儀」があること。社会規範・規律を 守るということ。一人ひとりの相手に、誠実に敬意を持って対すること。そういったことができるからこその成人なのだと思います。成人の日だからと言って、 それを祝うために周りに迷惑をかけるのは成人としての「気配り」「礼儀」「規範意識」「誠実さ」「周囲への敬意」に欠けた行為でしょう。成人の日に学年の 同窓会が開かれることは少なくないでしょうが、そう言う場に出る"未成年"(早生まれの人はこうなりますよね)にお酒を薦めるようでは、成人とは呼べない と思います。成人の日の同窓会では、年齢も体質も勘案して、お酒が飲めない人でも参加できるようにする。そう言うのができない集まりは、成人の日の新成人 の集まりとしては相応しくないものです。また、このような同窓会の連絡があった時に、幹事が困らないようにキチンと連絡を返すことや、必要に応じて早い段 階からのスケジュール調整を行うこともできて、それではじめて成人と呼べるような「気配り」や「誠実さ」があるといえるのではないでしょうか。!

私は、"未成年に許されない行為が許されるようになるから"成人なのだとは思いません。未成年に許されない行為が許されるようになるだけの「気配り」「礼儀」「規範意識」「誠実さ」「周囲への敬意」と言ったものがあって、それではじめて成人なのだ、と思います。

成人にしか許されないものを成人の証拠としている大人にはなりたくない。成 人にしか許されないものをやったとしても大丈夫だという信頼を証拠にしたい。そういう思いを、4年前の成人の日の頃に持っていました。今もそのことを心が けています。私は、タバコもすわないし、お酒も飲まないし、ギャンブルもほとんどしない。それでもこの人は成人なんだと言ってもらえるだけの信頼を持って いたいと思います。同じことを、新成人の方にも、お伝えしたいと思います。

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