2013年12月14日土曜日

年賀状を書き終えて思う 私のスタイル

先日 読んだマイナビの記事だったかで、年賀状を出す枚数に付いてのアンケートが取られていました。それによれば、過半数が「10通以下」だったようで、年賀状 の文化もずいぶん廃れてきたものだな、と感じます。デジタル化していく多くのものの中で、年賀状は一部の愛好家のものだけになりつつあるのかもしれませ ん。
2014年も、100通以上の年賀状を出すことにし、その準備を終えまし た。Yahoo!Japan年賀状のサービスなどを用いるために、自分の手を介さず出すことになるSNSつながりの人はともかく、それ以外の人は印刷で終 わりという年賀状にはしていません。確かに、絵柄などは印刷のものを買ってきています。しかし、その「一筆」には幾分多すぎる余白に、これまた「一筆」と 呼ぶにはちょっと多い量の文章をしたためています。自分が直接書いて出す年賀状は90通ほどですが、1通たりとも同じ文面のものはありません。年賀状を受 け取る一人一人の顔を思い浮かべながら、自分の心が届くように、言葉を選びました。

年賀状を出すのは面倒くさい、と言う人が多い世の中になりました。全部印刷 で済ませる人も多いですし、それを一括で引き受けるサービスがいくつも有る事からも、年賀状がいかに「面倒くさい」と思われているかを物語っています。私 は、その人たちを悪いと言いたいのではありません。批判したいのでもなければ、反感を持っているのでもありません。あくまでもそれは一つの価値観だからで す。世の中には「髪を染めるのが格好良い」と言う人がいれば「髪を染めるのは失礼なことだ」と感じる人もいて(私は後者に近いですね)、それは各々の価値 観にすぎません。年賀状についても同じ事です。

年賀状を出さない・返さないことが失礼だと言われた時代は過ぎ去り、出すこ とについても返すことについても多くの価値観のある時代になっています。中には、懇意にしている人からであっても、出されることを嫌がるような、そんな人 までいるかもしれません。年賀状はもはや虚礼さえ通り越して、ダイレクトメールのようなものだと感じられているのかもしれません。

今の時代に逆行するかのように、11月からじっくりかけて、年賀状を手書き していくのが、私のスタイルです。その時、必ず一人一人の顔を思い浮かべながら、年賀状を書きます。10分にも満たない時間かもしれないけれど、そのごく 短い時間は、その人一人のために思いを馳せる時間です。そうして送る年賀状だから、「心を届けられる」ものになっていると思います。私は、その時間を大切 にして、虚礼でも風習でもない、心からの挨拶として、年賀状を送りたいと思っています。だから、面倒と言って印刷で済ませたり、送らずにすませたり、返さ なかったりといったことは、私には出来ないことです。

ただ、私が年賀状を書くスタンスがどんなものなのか、それだけを書きたくて 文章を書いてきました。受け取る人がどう感じているか、それは私には分かりません。私は人の心には鈍感なほうですから、内心でうっとうしいと思われていて も、気づく事はないでしょう。だからこそ出来るスタンスなのかもしれないけれども、先に書いたとおり、短いながらもその人だけの事を想う時間を持つ、心を 届ける文章を紡ぐ、そんな場を持ち続けたいと思います。

年賀状の受付開始は、明日です。心が飛び立つ準備をする日です。廃れていく風習の中で、それでもと年賀状を出す人々の心が、受け取った相手に届く事を祈って、筆をおきます。

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