2013年11月19日火曜日

1対多ではなく…

中島みゆきの言に「私は、コンサートで1万人のお客さんがいたとしても、1対1万とは考えられない。1対1が1万ある、そう考えてコンサートをしている」というものがあります。この「1対多ではなく、1対1が多数ある」という考えは、いろいろなところで大切だなと感じます。

大抵の企業の応対というのは、そういうふうに見られているのではないでしょうか。企業にとっては大勢の客のうちの一人にしか過ぎないけれども、客の視点から見れば1対1であって欲しいというのが、本音だと思います。

昔読んだ話を思い出しました。何かの漫画だったと思いますが、新聞記者になるのを諦めて、息子を育てることを生きがいにしたお父さんの話です。そのお父さんが、新聞記者になろうと頑張っていた頃の旧友と出会った時の話でした。
「お前は、よく手紙をくれたよな。あの温かみのある字が好きだった。…だから、お前からの手紙が印刷になった時、寂しかったよ。」
「…恥ずかしながら泣いてしまってね。皆どこへ行くんだ、俺はどこへ行くんだ、と。」
そして、お父さんは、新聞記者をやめ、自分の書いた原稿を燃やすのです。

私には、印刷になった手紙というのがある意味でその他大勢になったという事で、その寂しさに泣いてしまったのではないかと思えるのです。印刷の手紙というのは、たとえその内容がひとりひとりに書かれたものであったとしても、大量生産のような気がしてしまうものです。今、年賀状を書いていますが、印刷の年賀状では、手書きの年賀状に比べて「一人一人のことを真剣に想って書いた」という事が伝わりにくい。そして、実際に「印刷だけで全部終わらせる」として、年賀状を単なる手間としている人もいますから、なおいっそう、伝えるのが難しいのです。

お父さんに、旧友は声をかけます:「手紙書くよ、俺の字で」と。
日々の付き合いの中で、そんな、1対1の視点を期せずして失ってしまった時、気づくことは簡単ではなくとも、こうして取り戻すのが、大切ではないか、と思います。

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