2012年4月24日火曜日

習う機会を生かせるうちに

私は、周囲からコンピュータのことを聞かれることは多数ありますが、コンピュータのことを習える機会はほぼありません。ともに勉強する、という姿勢で学ぶことが多く、独学で情報収集して力を付けるべく努力していますが、教室などで自分に妥当な内容を学べる機会はありません。レクチャーなどでよく学ばれることを大体理解できたということなのかもしれませんが、まだまだ知らないことは多く、もっとずっと学んでいかねばならないと思います。

その一方で、「この内容は独学できるから習わなくていい」と言って習う機会を捨ててしまう人もいます。これは大変にもったいないことだと思います。孔子もいっている通り、習うことと考えることは、両立されてこそ良いものだと思います。そして、独学というのは、思った以上に大変だということです。

自分の情けなさを晒すような話ですが。
高校時代、地学を独学しようと、参考書、便覧、教科書、問題集を全て買い求め(それも小遣いで!)、さぁやるぞと読み始めました。3年がかりでしたが、結局、教科書を読み通すことも、問題集をやり通すことも出来ず、受験で使ったものの、せいぜい足手まといにならないでよかった、ぐらいの出来でした。当時の自分は地学に大いに興味があり、関連する事なら嬉々として見聞していたのに、独学は出来なかった。高校地学の内容を今説明しろと言われても、専門にやっている内容はともかく、他はちっとも覚えていないような気がしてなりません。

もうひとつ。
今、C++を独学しようとしています。前々からプログラミングが好きですから、それ自体は決して変なことではありませんし、競技プログラミングでよく使われるのもC++ですから、必要性にも迫られている部分があります。なのに、2年近くかけて、まだ全然習得できていない。もともとCができたから書けるbetter-Cだけで、それ以上の使い方は、まだ全くできないと言って良い。TopCoderの時は、better-Cに、書籍のstringの部分とvectorの部分だけ合わせて使って何とかしているぐらいのレベルです。

どちらも、周りの人から呆れられるぐらい好きなことなのに、それすら独学できなかったし、それすら習えればいいと思いました(今も思っています)。だから、「この内容は独学できるから」と言って習う機会を失ってしまうのは大変もったいないような気がします。まして、そういっている人の多くは、決してその分野が好きなわけではない。学ばずじまい、やらずじまいに終わってしまうのではないかと思うのです。それはちょっと、勿体無いな、って。

「既に修得しているから」「ちょっといまの自分には手に負えないから」「興味がないから」...色々な理由で、習う機会をなくしてしまうことはあると思います。でも、修得していなくて、別に手に負えないわけでもなくて、興味もないわけではなくて...そんな状況で、独学できるからって習う機会を捨ててしまうのは、あまりにも勿体無さすぎる。だから、自分がアドバイスできるなら「興味があって、手に負えないほど大変でないなら、習えばいいのではないかな」って言うことにしてる。

習う機会は決して多くないから、習える機会を生かせるうちに、習っていくことが大事ではないかな、そう思った一日でした。

私、もう、コンピュータ習いたくても、レクチャーしてくれる人、近くにいないんだから。

2 件のコメント:

volcanologue さんのコメント...

無論レクチャーしてくれる機会は逃すべきではないし,レクチャーしてくれた人には正しく学んだかチェックして貰うべきであろう.
ただ, 1 by 1 は最も効率の良い教育だし,1 by 10 でも妥協すべきだろう.しかし,1 by 100 となると,ん? とならざるを得ない.質疑討論をするという観点から言うならば,1 by 5 位が一番よい気がする.私は貴君や私のような高等教育を受ける身にとって最も良い教育とは「教えることによって学ぶ」事だと思っているので,質疑討論がなされない,所謂講演は,何かを学んだような「気」にさせる点であまり教育的ではないと思います.

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>volcanologueさん
全く仰るとおりだと思います。1:100ってのは、「習う機会」ではなくて「聞く機会」ですよね。それはそんなに惜しいとは思わないんです。
仰る通りの、チェックしてもらえるような「習う機会」あるいは、自分が教えて学ぶ機会というのを逃すのは、どうもなぁ、と思うのです。