2011年1月15日土曜日

大西製作所という会社

友人のリクエストにより、今日はインクミキシングを書こうかと思っていたのですが、それよりも差し迫った話題があるので、差し替えます。インクミキシングは1/25です!なお、1/23にかきたい話題もありますので、1/23,1/25と文具関連話題といたします。(なお、1/23の音楽関連話題は1/24に振り替えます!)

ペンハウス速報で見た「大西製作所」
http://www.pen-house.net/brand/brand0214.html
加藤製作所そのままではないか!と思ってしまいました。

もともと、さる筋から、加藤製作所に弟子がいる、という話は聞いておりました。数年前のことでしたが、いらっしゃると聞いた覚えがあります。それから数年を経て、大西製作所が出来た。多分、その「弟子がいる」発言はここにつながっていたのではないかと思ったのです。

大西製作所のペンを見て、まさしく加藤製作所の復刻であると感じました。私は、加藤製作所のペンで万年筆の世界に入ったものですから、このようなペンが出来たことを嬉しく思っています。

特段なければ、そう遠くない将来に、私はこの万年筆を欲するのではないか、と思います。今は万年筆を欲しいと思わないけれど、より懐古あるいは回顧の情が強くなる時期に、このペンを欲するときがきっと来るのではないかと思いました。

2011年1月14日金曜日

ユーハイムのバームクーヘン

神戸に帰省したときに、ユーハイムのバームクーヘンを購入しました。ユーハイムのバームクーヘンは日本での発祥であり、私自身、だいぶ好きなバームクーヘンであるのでいつもどおり購入した次第です。

 ユーハイムのバームクーヘンには美味しいだけでなく、伝統の味といえそうな何かがあります。私はバームクーヘンが好きなので、常日頃食べたいと思っており、焼きたてのそれは大好きです。

リーべスバウムも好きですが、やはり焼きたてのバームクーヘンです。 今、近くの店でなにか美味しい店がないかと一生懸命さがしています。

私の好きな洋菓子は
・クレームブリュレ
・クッキー
・バームクーヘン
あたりですが、何か美味しい店が見つかればと探している次第です。

2011年1月13日木曜日

誰も書かなかった中島みゆき論ベスト200を聞いてみよう 番外編3

今回は I love you,答えてくれのアルバムより…。大変好きなアルバムです。

顔のない街の中で:大変辛い思いをしていて、帰省する度に友人に「周りの人の顔が見えない、顔がない、のっぺらぼうだ」と言っていた頃がありました。冷たいような、寒いような感じがして、生きていくのも嫌に感じることがそれこそ日常茶飯事だった頃です。そんな時にこの歌を聞いて、顔のない街に対して、我々は「見知る」ことが出来れば、という悲痛な叫びを発見したように思いました。今でも聞くたびに、見知っている人でさえ無碍に扱うことのある昨今、我々は周囲を顔のない人として扱っていないか、反省したくなります。

惜しみなく愛の言葉を:タイトルも好きですが、何より、「言わぬが花」の日本人に、ひとつの警句を投げかけているものと思います。「言わぬが花」は確かに日本人の美徳でもありますが、何でもかんでも言わないという誤った捉え方をして、挙句、人間関係がギクシャクしてきます。常に全てを言う必要はないでしょうが、時には惜しみなく愛の言葉を言ってみては、あらん限りを言葉にしてみてはどうかと考えさせられる曲です。

サバイバル・ロード:Tour2010で歌われた曲です。サバイバル・ロードの街、迂回路のない街というのが、先の「顔のない街の中で」の「街」とかぶります。人は人であり、それを無碍に扱うことが、サバイバルを生み出し、「共に行ける者はないのか!」という叫びになる。結果として、人間不信がやってくる。そんな、人間不信の街を描いているように感じます。このアルバム、全体的に現代の絆を軽視している状況、人を軽視している状況を書いている曲が多いと感じるのですが、何かこのころにあったのでしょうか。

Nobody is right:これもTour2010で歌われました。歌詞の朗読があって…その朗読で、改めて歌詞をかみしめ、正しいことの辛さと、正しいと信じていることを押し通す辛さを見つめました。正論は強いから、少し控えめに言う方がいいと、ずいぶん前に言われたことがあり、それは結局、うまく守れてはいないのですが、しかしながら、正論を通すときの辛さは今でも感じます。正しいと信じていることを押し通すときの争い、それは正しいのかと思います。結局のところ、それぞれの人の正しさが相容れないから、争いという、多くの人が正しくないと認める結論に行き着くのだと思います。私は私の正しいと思うに従って行動していますけれども、争いにならない様に気をつけねばと思いましたし、とりわけ、正論を自分の正しさに持ってくるのであれば、相応の辛さがあるものだと感じました。

I love you,答えてくれ:愛さずにいられないバカ…のひとりが私です。そして、"I love you,答えてくれ"という、悲痛とも言える叫びの多くは、虚空に消えていきます。
I love you、というのは言い過ぎなのかもしれませんが、少なくとも、相手になにかを送ることがあります。そこには少なからず愛情が含まれています。愛さずにいられないバカは、受け取ったと答えて欲しいのです。私は愛さずにいられないバカで、そんなバカが、何か手紙を書いて、何かメールを書いて、友人たちに送る。でも、答えてくれることはそう多くない…。
愛さずにいられないバカは間違いなく自分。そして、その自分の気持ちを代弁している歌です。

2011年1月12日水曜日

どんぐりあめ

新年の初詣に
少したったえべっさんに
いけばあった
どんぐりあめ
丸くて美味しい
どんぐりあめ

夏祭りで探しても
大きな祭りで探しても
ほんの少しの
どんぐりあめ
お店の少ない
どんぐりあめ

今は初詣にも
いまはえべっさんでも
少なくなった
どんぐりあめ
お店の見つからない
どんぐりあめ

フルーツキャンディと
書かれたお店で
ふっと見つけた
どんぐりあめ
名前の変わった
どんぐりあめ

今でも頑固に
名前を変えずに
売ってる店は少なくても
どんぐりあめ
甘さの変わらぬ
どんぐりあめ

初詣の時
探し回って
今年も見つけた
どんぐりあめ
たった一店舗だけの
どんぐりあめ

今はやりの
洋風の名前だと
懐かしい味がしない
どんぐりあめ
ひとつ口にほりこむ
どんぐりあめ

どんぐりだからいい
あめだからいい
おしゃれでなくていい
どんぐりあめよ
初詣でたとえその店は少なくても
どんぐりあめ
ずっとひそかに
生き残ってくれ

2011年1月11日火曜日

小さき者に灯りを

タイトルはmother3というゲームの主題歌のサビ部分の歌詞です。

自分と性格の会う後輩を色々と可愛がりながら生活しているのは、中学生の頃からずっと変わりません。向こうが迷惑に感じているか喜んでくれているか、正確にはわかるあてもありませんが、私のもとに着てくれる後輩たちは迷惑一辺倒とは思っていないのではないかと思います。

色々な後輩と付き合って、自分も楽しませてもらうと同時に、やはり自分も先輩として何か出来ればと思うことが多くあります。と言っても、先輩風をやたらに吹かせるのではなく、先輩として然るべき態度でなにかできないか、ということです。

それが「小さき者に灯りを」ということ。
人にはそれぞれに違う知識や理解がありますから、必ず教えられることがある。
それを教えるかどうかはその人の裁量だけれども、後輩たちのような、立場的に弱い人が自分に頼ってくれるなら自分という人間が何らかの灯りを灯せればと思うのです。私が好きなプログラミングや、多少かじっている数学について、何か灯りを灯せるのであれば。

私自身はひとりの人間としてできることでいい。それがなにかの灯りになるのであれば、灯りを灯せる人間でありたいとそう思うのです。

2011年1月10日月曜日

書評:システム管理者の眠れない夜

今回は「システム管理者の眠れない夜」という本の書評をしたいと思います。タイトルからわかるとおり、これは「システム管理者」という、いわばパソコンやネットワークの中枢を管理する人の話ですが、専門的な話ではなく、エッセーです。

とはいえ、専門的な知識がないとやや読みにくい感を受けました。それもそのはずで、これはある程度の知識のユーザーを対象とした雑誌に書かれていたものだからです。

この本を味わう観点としては2つあると思います。

1つは、10年前のパソコン事情を味わうということ。当時は新しいことが書かれていたのでしょうが、現在のパソコン事情には則さない記述になってしまっています。別に著者が悪いのではなく、パソコンがそれだけ進歩したということなのですが、変わるところと変わらないところがあるおもしろさはある意味でひとつの古典として楽しむことができます。

もう1つは、これは現代的な話でもあるのですが、管理をする人、あるいはそれに近いレベルの人が、いろいろなパソコンユーザーに対してどのように対応するかと言うのを理解することです。パソコンが普及したと言われる現代ですが、有名で普及もしているMicrosoft Officeですら使いこなせる人はあまり多くありません。ましてや、プログラミングなどが必要になると、もう拷問だという顔をする人さえいます。そのあたりは10年前と変わっていないように見受けられますし、そのテクニックがこの本にはいろいろ書かれています。

私はこの本を近くの古本屋で100円で手に入れましたが、定価で買っても損をする内容ではありませんでした。自分はパソコンをよく使っていて、ある程度周りに頼られることもある、という場合には読んでみるといいかもしれません。

両親が驚くほど高ペースのタイピングをしながら、この「システム管理者」よろしくパソコンの質問に答える私が今日もいます。違うのは、出張しなくていいことと、管理責任を取らされないこと、それによって給料が出ているわけではないこと、の3点でしょうか。いくら言ってもパスワードを決めない友人たち、一度クラックしてやろうかと思うこともあり、ジョークさながらやると宣言しても、いつまでも決めません。この本の内容をユーザーサイドから書いたものもあればいいのに、と思いました。

2011年1月9日日曜日

懐かしい思いと共に

年末年始は帰省する人が多く、私もその例に漏れることなく帰省しておりました。中学校の友人や高校の友人と出会う機会もあり、楽しみにしておりました。

年末には部活の同級生や後輩と、忘年会という名目で楽しく過ごしました。部活の話が多くありましたが、それ以外にもいろいろな方面に話が飛び、後から友人に話すと「いったいどういう話題の飛び方をしているんだ!」と驚かれるほどでした。そんな中で、同級生の言った「達哉んは後輩をかわいいと言うけれど、単にかわいいと感じるだけではなくて、自分がかわいいと思う後輩を集めるような人柄なんだろう」といってくれたのが大変嬉しく、印象深かったです。

年始になり、中学の友人2人と会うことになっていました。中学の3人が集まったのは、もうずいぶん前のことでした。私は他の二人と、少なくとも1年以内には会っていましたが、他の二人同士が会うのはずいぶん久しぶりの様子でした。長い付き合いの友人であり、私が今までの人生の中で最も愚かしいことをしていた時期も知っている友人でしたから、話に花が咲かないわけはなく、10年ほど前の話を長く楽しんでいました。

年始には高校の友人とも会いました。メッセンジャー等を用いて少なからず話しているのですが、実際に会って話すというのはやはり違っていて、いつも故郷の良さを思い知らされます。「束の間人を信じたらもう半年頑張れる」と、中島みゆきの「帰省」のワンフレーズがぴったりです。

その日、分かれるときには、懐かしい思いの中に、一抹の寂しさもありました。今はもうたまにしかあわなくなった友人たちが、たまにでもいいから、これからも会う機会を持てる友人で会うことを願いつつ、友人の背中を見送ったのでした。