2011年11月24日木曜日

プロジェクトXはこの曲の評価を高めた〜中島みゆきの歌詞の解釈(16)


中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

A.マイフナー様より、リクエストを頂きましたので、今回は「地上の星」です。歌詞はこちら
シングルとして有名な曲なので、オリジナルアルバムで示しても困るかも知れませんが、「短篇集」のトラック1です。

セールスに違わぬ名曲だと思います。プロジェクトXという番組に見事にマッチしており、それがなおセールスに貢献したと思っています。アンサイクロペディアには中島みゆきの記事はないのにこの曲の記事はあるという不思議な事態になっているほどです。なお、アンサイクロペディアも非常に独特な解釈をしています。

私は天邪鬼なのもあって、この曲が一番好きであるとは思っていません。しかし、この曲が良い曲であることは疑いない事実であり、好みの範疇で私の中で上位に来ないだけだと思っています。

人は目立つ空の星ばかりを見ており、地上にある、本来空の星ほどに輝いている存在を見過ごしてしまっている。しかし、その存在に我々は気づくべきである。だからつばめよ、その高い所からなら見えるだろう、地上にある星を教えておくれ…多分、ほとんどの人が初めて聞いた時、この意味に取るのではないでしょうか。そして、その意味に共感するからこそ、この曲を買い求めたのではないでしょうか。

なるほどこの解釈は仰るとおりです。しかし、私はこの解釈をしたときにどうしても腑にに落ちない部分があります。
「名だたる物を追って 輝くものを追って 人は氷ばかりつかむ」
この部分です。他の部分は、先の解釈で全て説明されていると思うのです。でも、私はこの一節だけは、先の解釈に含まれないと想うのです。

この部分、私には「ブームに気をつけなさい」とただ一言だけ言って歌ったときく「吹雪」に通じる部分があるように思えます。

人がつかむ氷は冷たく、またすぐに溶けてしまう空虚なものであるのではないか。権威や目立つものに従い、空虚な結果を得るようなことに、もっと地を見ろと言う警告を発しているのがこの部分ではないでしょうか。この部分があるからこそ、なお地上の星の意味がよくわかるのであり、二度繰り返されることから、これはやはり、この曲の主題の一つではないかと思うのです。先の解釈でいうよりもやや厳しい意味になりますが、これは権威や目立つもの、わかるもの、視えるものにだけ囚われてしまうことを批判し、警告し、それらに正答な評価を与えよと主張している歌なのだと思います。

以前、SNSとブログで「高校野球は地方大会でも映像付きで放映するのに、高校生が国際情報オリンピックで金メダルをとっても、それに一言も触れないニュースはどうなんだ」ということを書きました。これこそ、地上の星を見逃した一つの例ではないかと思うのです。

地上の星を見逃すな、地味なものの頑張りも、見えぬもの・目立たぬものにも目を向けてその輝きを見よ。そう語るこの歌自体、とても有名なものになってしまいました。この歌を取り上げ、しかしながら目立つものばかりを一層取り上げるようならば、それは私の解釈において、この歌を真に解したとは言えないのではないでしょうか。

名曲です。同時に、翻って我が身を見た時、自省の念に駆られる曲でもあります。「有名であるものばかりに目を奪われるな」と語る曲があまりにも有名になったのは、私には皮肉のように思えます。有名だからと手にとった人には、ぜひこの曲の歌詞を傾聴し、自分なりに解釈してみて欲しいと願わずにはいられません。

※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。



※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。



※ 他の解釈が載っているサイト、もしくは自分なりの解釈がありましたら、コメントでお書きください。

5 件のコメント:

A.マイフナー さんのコメント...

早速扱って頂きありがとうございます。

人間は理性や知性が有り、その点が他の動物との大きな差異である、と言われますが、理性や知性を持っているがために、本当の意味での「星」が見えなくなっているのかもしれないですね。

そういう意味ではこの歌は、色々と考えさせられる歌です。

マスコミ批判ではありませんが、確かに、日本の報道は、有名なもの、目立つものに偏り過ぎていると思います。最近ではバレーの国際試合はかなり熱心に報道していますが、J2とか社会人ラグビーの息詰まる熱戦は何処も伝えません。石川遼君の順位は強調して、肝心の1位の選手の名前は申し訳程度にしか載せません。

せっかく地上の星が大きな話題になったのですから、日本の社会全体としても、(一見すると)地味なものにも、素晴らしいものであればスポットライトを当てて欲しいなと、そう思います。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>A.マイフナー さん
コメントが遅くなりました、ありがとうございます。
私の解釈で言ったことが、コメントの最後のところに集約されていて、伝わったようでよかったとほっとしています。

匿名 さんのコメント...

岡本太郎が太陽の塔を制作をしたときのエピソードをご存知ですか?

太陽の塔が完成して中に何を展示するかという話になって、当初、主催者側は中に「歴史上の偉人」の写真を展示するという案を出していました。しかし岡本太郎は「世界を支えているのは無名の人たちだ!」と言って無名の人たちの写真を中に展示したんですよ。

これは地上の星のメッセージと同じですよね。たいしたことない(と思ってしまう)人生でも、一人一人自分の人生と真剣に向き合って生きることが大事である。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>匿名の方
聞いたことがあるエピソードですが、これを書く時意識しているものではありませんでした。
自分自身の人生(=地上の目立たぬ星)と真剣に向き合うのも大切ですし、それと同じような地上の星である他の人の人生もまた同じぐらい大切に…。私は、お伺いしたエピソードを聞いてそう思いました。

自分の人生に真剣に。それと同時に、他の人にもそれと同じぐらいの気遣いを…。いかがでしょうか。

Unknown さんのコメント...

私も今偶然『地上の星』の歌詞を読んでいて、
不器用に二度も「氷ばかりつかむ」をあえて歌詞に入れ込んでるなあと思って、たぶんあえてだから、ここが主題だろうなあと思って一人で考えてました。
そして、偶然このブログを発見したので、書き込ましました。
私もこの曲の根底は皮肉なんじゃないかなっと思ってまして、主さんとは「氷」の解釈が少し異なりますが、氷は氷の状態だから「つかめる」わけであって、物質には三態があるので、液体や気体の状態であれば同じH2Oでも、我々がどう扱えるかは変わってきますよね。
同じものでも、人が求めるかたちや時代や環境の変化によって、同じものへの理解や評価が異なるわけで、そこに「高い低い」や「優劣」とかつけてしまうことへの皮肉だと感じたんですね。
で、つばめは「高い」場所にいるんですが、このつばめは私達に何か教えるためにいるわけでもないですし、「渡り鳥」として2000~3000㎞飛ぶために「高い」ところを飛んでる「状態」なんですね。ピヨピヨと雛にご飯を与えているときのつばめに、地上の星を教えてほしい私達にとって価値はないんです。私たちに何かを教えてくれる崇高な存在ではないはずです。でも、私達より「高い」ところにいる鳥ならば、その「下」にいる私達に何かを教えてくれるって役割や価値を「つばめ」に押し付けてしまう。
そう考えると、歌詞全体であえて『「何処」に「ある」』にこだわる理由も、繋がるんような気がしてまして。

空:地上「何処」(価値がまだ決められない状態)→「高さ」(人にとって「高さ」は同時に「低さ」という、価値や優劣の問題を提起させる)→「距離」(つばめにとって「高さ」は同時に距離をうみだすもの、実際は距離が目的、ありのまま)

とか、色々考えて、歌詞全体で美しい言葉で溢れて素敵だなあと思わせといて、本当は流麗な皮肉なんやろなっという感じです。

と長々と書きましたが…
2011年の記事なので書き込みを見て頂けるかはわかりませんが…
似た視点で『地上の星』を見てる人がいるんだって思ってテンションあがったら、文章をここまで書いてしまいました。
初めましてすが…健康一番で良い人生を!!
では!