2011年10月16日日曜日

音読の楽しみ

私は色々な本を読んでおりますが、短篇集や名作、古典、韻文の、その各々で、あるいは気に入った場面で音読をしております。黙読による多読は勿論ですが、音読は音読で、別に味わう意味があると思います。

音読するのは、超短編か、あるいは短編の中でも15ページ程度で終わるような短い部類に属するもの、古典、韻文が大多数です。名作の場合は出だしを、その他の長い話は場面を音読することがあります。

音読は学習にも重要であるとされますが、読み味わうのにも重要です。


・日本一短い「愛」の手紙一筆啓上賞
「今夜も電話を待っています。受話器に手を掛けて。ただ、待っています。」



・ルナール「蝶」(岸田国士訳)
「二つ折りの恋文が、花の番地を探している。」

・尾崎放哉
「流れに沿うて歩いてとまる」

・杜甫「月夜」の一節(黒川洋一の書き下し文より)
「何れの時か虚幌に倚りて 双び照らされて涙痕乾かん」

・兼好法師「徒然草」第109段を締めくくる一節
「あやしき下郎なれども、聖人の戒めに適へり。鞠も、難き所を蹴出だして後、易く思へば、必ず落つ、と侍るやらん。」

今昔、有名無名取り混ぜて5つほど挙げましたが、どうでしょうか。黙読するだけよりも、音読する方が味わえるように思いませんか?

大きな声でなくても、つぶやくような声でもいいから、音読して味わうことが、読書の一つの楽しみになると思います。読書の秋といいます。黙読ばかりでなく、音読も如何でしょうか。

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