2011年6月8日水曜日

「好きな額を払っていい」貴方はどうしますか

ミスター味っ子2という漫画に、「本日は一種類の定食だけを出します。値段は決めておりませんので、お客様の好きなだけお支払い下さい」として、定食屋を営業する話が書いています。さて、このとき、自分ならどれだけ払うでしょうか。
もちろん、予算などもあると思います。応援の気持ちを込めて多めに払う人がいるかもしれませんし、その一方で「タダ飯」と食べる人もいるかもしれません。漫画ではほとんどタダ同然に食べていく人を非常にあさましく見えるように描いていましたが、これは間違っていないと思います。

流通経路を考えて、例えば中に挟む卸の数を減らして価格を安くするのは一つの手かもしれない。
自分たちに普段利益を与えてくれているからと、一時的に利益を下げるのは手かもしれない。
普段の利益とお得意様とでうまく差をつけて、目標の利益にはじめから計上してしまうのも手かもしれない。

しかし、しかしです。それを提供する側の人を苦しめてまでの安さは必要ないのではないか。漫画の主張はこのとおりでした。

私だったらどうするでしょうか。応援の気持ちを込めて多めに払えるかどうかはわかりません。でも、適正な価格、「自分だったらこれぐらいだして食べてもいいな!」と思える額は支払いたいと思います。それが、人間の、人間に対する敬意だと思います。

昔通っていた塾の卒業文集に、その塾の先生が寄せた文章には次のようにありました。
「アフガンの少年は、ひどく苦しい額の賃金でサッカーボールを作っていて、それが今、日本にやってきています。それがもしも激安で売られていたら、貴方はどうしますか。私はNo,Thank you.です。」
ともすれば「そのアフガンの少年を応援しないのか!」と言われそうな話です。

私自身、数年前には、アフガンの少年を応援しないのだろうかと思いました。でも、しばらく考えてわかりました。アフガンの少年を応援しないのではない、これを喜んで買う限り、アフガンの少年は却って苦境のままにされてしまうということを。苦境のままにするぐらいなら、買うよりも、もっといい方法でなにか応援できないか、それを模索するべきではないかと思います。「お客様の声」なんかでいってみるのもいいかもしれません。

品物には人の手がかかっている。そのことを忘れてはいけないと思います。全てに対して正当な評価をすることは無理だけれども、自分が買うときに、その後ろにある人々、生産者たちの思いがあることを、我々は忘れてはならないのだと思います。

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