2011年3月11日金曜日

心のガン

様々なストーリーに不治の病として出てくるガン。場合によっては、ホスピスなどの難しい選択も迫られるでしょうし、安楽死・尊厳死といった話にもなるでしょう。ガンにかかった部位が現代では救えない状態となるから、生きるに耐えない状態となるから、命尽きてしまう。

ガンに限らず、人は体の部位のどこかが生きるに耐えない状態となってしまえば、亡くなってしまいます。医療は、それら「生きるに耐えない状態」をできうる限りの方法で生きるに耐える状態に戻すものだと思います。

私は、心にもそんな状態があっておかしくないと思っています。鬱病を心の風邪や心の骨折と呼ぶ人もいて、それのさらにさらに発展したものに、心のガンとでも呼ぶべきものがあるのではないかと思います。

死は体の機能の問題であり、心の機能の問題ではないから、心がたとえ複雑骨折して生きられない状態となっていても、体は動かせるかもしれません。傍目には普通に生きているように見えるし、安楽死・尊厳死なんて言葉も出てくるはずがない。

心に重い病気を抱えた人が、自殺する。精神科云々の診断はわからないけれど、当人の心の病気は、当人の心を、もう生きられないと、安楽死したいと思わせるまでに蝕んでいたといえるのではないでしょうか。

自殺は悪いことかと問われたとき、私は一概にはそういえないと思います。心のガンがあまりにも進行していたら、これ以上の苦しみを体験しなくてもいいのではないかと考えます。歓迎すべきことではありませんし、周囲も、社会制度レベルでも、心の病を治療できるのが一番です。けれども、それらが及ばなかった結果としての自殺なら、私は、安楽死と同じ意味を持つのではないかと思っています。いや、もしかすると、安楽死ではなく、体のガンが命を奪うように、心のガンが命を奪ったと言ってもいいのかもしれません。

自殺は悪いことだという意見もあります。心のガンにかかったときでも自殺は悪いと言えるのでしょうか。心のガンの悪化による死が自殺なのではないか、それなら、体のガンによる死と同様、悪いとばかりは言っていられないのではないか。

心のガンが末期に至ると、そこからの治療は大変だと思います。早期発見と、そこからの治癒が大切だと思います。そんなメンタルヘルスを、軽視する人もいるけれども、私は・・・軽視すべきではないと思います。

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