2011年3月9日水曜日

遠くの親戚より近くの他人、私には嘘だ

遠くの親戚より近くの他人、ということわざがありますが、私には正直、しっくりこないものです。

私にとっての他人というのは年齢的にも、あるいは物理的な距離的にも、遠い方の人が、よほど頼りになります。近い人ほど、自分のことをうとみ、鬱陶しいと感じ、あるいは老けていると感じ、避けられているように思います。うるさ型の人間、親にまで「おっさん」と言われるような人間、産まれた1989年よりも前の曲が好きな人間で、同年代の人から共感をえられることは少ないのです。このブログを始め、色々と書いている文章も「年齢層が高めで、同年代の人に向けているとは思えない」と言われます。

その事が結局乖離を生み出していて、私には、周囲の、同年代の他人より、年齢も住んでいる場所も全く違う、遠い他人の方がずっと救いになります。うるさ型だから近くにいるほど避けたくなるのでしょう、遠くにいる友人の方が、同年代であっても、ずっと頼りやすい。私がベッドの中で何らかの急死を遂げたとしても、近くの友人に気づいてもらえるとは思えません。

遠くの親戚は、遠くの他人に比べてactionを起こしやすいですから、その点で、遠くの他人よりは遠くの親戚の方が頼れると思います。そうすると、近くの他人より遠くの他人、遠くの他人より遠くの親戚となり、縮めて「近くの他人より遠くの親戚」となります。

私の考えはがんこで硬くて、古いのかもしれません。そして、それがあるから、年齢的・距離的に遠いほうがよほど頼りになる。私の中で「遠くの親戚より近くの他人」は、賛同しかねるものとなっています。

もし私が、「近頃の若者は…」と言われるような、"典型的若者"だったなら、近くの他人の方がよかったのかもしれないと思います。

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