2011年2月25日金曜日

受験にはファーバーカステルだった

ちょうど3年前、大学受験。受験に類するものは鉛筆で受けるのが多いので、私も例にもれず鉛筆を用意しました。用意した鉛筆は、高校生の懐にあっているということと、私の想いを込めた


でした。

文房具的な意見もあるのですが、最も単純には「原点だから」がその本音でした。私の学習の原点となった文房具は覚えていませんが(ハマるきっかけになった文房具なら覚えています)、鉛筆の原点はカステルだ、と。そして同時に、私はそこに学ぶ者としての原点を忘れないために持っていったのです。

3年というときは人間を変えます。三角関数すら知らなかった中学生が、微分積分を使えるようになるのですから。そのなかで、鉛筆は学習の原点であり、その鉛筆の原点たるカステルは、ある意味で私にとっても原点である、と。

昔から外で遊ぶのは好きでなかった。サッカーやバスケで活躍する人々を羨ましく思いながら、でも底へたどり着くための努力は到底やる気になれない自分にとって、書籍や数字は、そしてそれを書くための鉛筆は、私の原点を築いたものにほかならないのです。

人間の原点は分野によって色々あるけれど、私の学習の原点は鉛筆だと、その思いを強く、原点を忘れぬために、私は受験の日にカステルの9000番を持っていったのでした。

世に色々な鉛筆があるけれども、ファーバーカステルは創始たる鉛筆として、これからも長く販売される鉛筆であって欲しいとおもいますし、受験で使う人もいればとおもいます。珍しく、質も何も無視して、私はただ思いだけで、ファーバーカステルを選んだのでした(とはいえ、質は何に文句を言おうというものですが。)

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