2010年10月30日土曜日

誰も書かなかった中島みゆき論ベスト200を聞いてみよう その10

ついに第10回。71~80位です。

わたしの子供になりなさい:71位。意外と順位が低く、驚きです。好きな歌です。そして、歌いたい曲であり、以前一度、後輩の卒業祝いのカラオケでリクエストした「後輩に贈る曲を歌いなさい」を自分に言われたら選ぶ大本命でもあります。ここに書いているような「私」に私自身なりたいと思いますし、後輩にとってはそういう存在でありたいと常日頃思っています。そういう意味で、後輩に最も贈りたいのです、「もう間とか恋だとか難しく言わないでわたしの子供になりなさい」と。勿論それはかなわないことですが、しかしながら、この一曲で後輩への温かみが通じれば、と思います。

まつりばやし:78位。タイトルからは明るい曲、賑やかな曲と思って初めて聞いたのが何ヶ月前だったか忘れましたが、それとは随分違う曲調、そして中身に、驚きつつもずっと聞いている歌です。寂しいんですよね、それも祭りの終わりという意味ではなく。まつりのあとが寂しいのは吉田拓郎も歌っていますが、それとは違う。まつりばやしを聞いたときに、まつりで一緒にいた「おまえ」がもういない、その淋しさです。…祭ばやしは楽しいものなのに、お前のことを思い出して、寂しくて…そんなやりきれなさを描いているように思います。楽しい時間が寂しさを生む。そんな体験はまだ私に数えるほどしかありませんが、それでも、どことなくわかるところがあります。

他を選べず、今回は2曲としてしまいました。次回・次々回はこのまま続けて、100位まで紹介したら、少し休憩で、別の曲を紹介します。

2010年10月29日金曜日

競馬術の本を読んで

古本屋でワゴンセールをしており、その中に競馬術の本があったので読んでみました。

確かに、内容はもっともでした。その本のとおりやれば当たるだろうというのは予感しました。でも、正直に言って、私はその本は競馬の本ではないと、競馬を用いた金儲けの手段だと思いました。

著者は色々なことを書いていましたが、その内容の意図するところは「金儲けの手段としての競馬」です。私など、賭けはついで、自分の好きな馬がどうなるか見るほうが好きだ、という人間にとって、金儲けの手段としての競馬はあまり好ましいものではありません。正直、著者は競馬が嫌いなのだろうと感じるほどでした。それはその著者の意図するところと私のシコウとが違うところですから、しかたないところではありますが、けれども、競馬好きの人が書いた本ではありませんでした。競馬好きの人ではなく、競馬というギャンブルを用いてギャンブルに勝つ方法を書いた、あくまでギャンブルの本でした。

私は競馬が好きです。でも、競馬でお金を儲けるのが好きなのではありません。競馬というものが好きです。凱旋門賞も見ていました。「競馬でお金を儲けるのが好きな人」にとって、凱旋門賞はどうでもいいのでしょう。データ分析としてみるかもしれませんが、ナカヤマフェスタやヴィクトワールピサを応援するものではありません。中継である必要もありません。私はトルコ競馬のホームページから見ていました。

私は競馬が好きです。…そういう時に、賭けを想像する人もいるかも知れませんが、私は競馬が好きなのであって、馬券が好きなのではありません。サッカーが好きな人はtoto好きか、というと決してそんなことはないのと同じです。

サッカー好きが必ずしもtoto好きでないのと同様、競馬好きでも馬券好きかどうかは別問題だと感じました。私は競馬好きであり、馬券好きではないとその時思いました。勝つために馬券を買うのではなく、楽しむために、少額、馬券を買うのです。楽しむ競馬、スポーツとしての競馬です。それでいいではないか、と私は思います。

競馬術の本、内容はいちいちごもっともでしたが、正直私には口当たりの良くない本でした。

2010年10月28日木曜日

自分のブログへの疑問

疑問、と言っても難しいことではなく。

ブログの更新とコメント、その他色々な点について、自分なりに考えてみたのです。

1.なぜ時刻を夜中に設定するのだろう?
kammyさんのコメントにもありましたが、私は自分が書いた後、少々猶予を持って夜中に設定してタイムラグを置いて更新するようにしています。昼に考えたことを夕方~夜ぐらいに書いて、夜中に自動更新がかかるように指定して投稿。予定稿の場合は土日の昼が多いです。例えば27日の投稿(本音を言う話)は22日昼投稿で、26日の投稿は25日の昼投稿(最近好きな4.2.3の曲と、死刑に関するニュースを見たのでそれをあわせて)です。その時の設定を夜中にする理由が、自分でもよくわからないのです。気分なのかもしれませんが、起きてふとみたとき、更新されている、というのが基本的には気分いいから、ぐらいが理由でしょうか。夜中の思考がネガティブなのは眠れない夜で十分経験済みなので、夜中に書く事はないのですが、ではなぜ夜中に設定しているのかわかりません。とりあえず試しにこれは朝にしてみます。

2.なぜ機能をあまり増やさないのだろう?
ブログとしてはかなり低機能であり、ガジェットも追加していません。なぜ追加しないのかということなのですが、レイアウトを考えるとこれぐらいが妥当かな、と。ジャンル別は検索システムを知らないという理由でやめているのですが・・・なんとかなるなら、ブログ内検索位入れてみたいとは思いますが。

3.コメントのポリシー
一度目は返事をし、二度目以降は状況に応じてというポリシーで原則コメントの返事を書いているのですが、このポリシーが妥当なものなのかどうていて、これは、正直分かっていません。一度目は必ず返事をしようというのは、やはり、「見てくれてありがとうございます」という気持ちを表明したいからなのですが・・・悩ましいところです。

4.技術系がない
プログラミングやコンピュータ、あるいは気象学・物理学・数学について、数式やコードを用いた議論は避けていますが、なぜかと考えてみるとあまり理由が思い当たりません。多分、それらを書いたほうがいろいろな人が見てくれるとは思うのですが・・・。もしかすると、TeXで書き起こすのが面倒なのかもしれません。でも、最近面白い話題があったので、たまにはTeXを用いたブログでも書いてみようかなと考えています。

5.何より、なぜブログをするのか?
念のため再度自分に問うて、一番の答えは、自分という存在を思ってくれている人々に自分の生存証明をなすため、という結論を得ました。友人に「ブログの更新が半月以上止まったら何かあったのだろうと思ってくれ」と言いましたが、その指標たるブログでありたいと思うのです。それにより、何らかの「書く」行為が重要だと思うのです。

2010年10月27日水曜日

本音を言うと嫌われる、媚びれば嫌われない

当たり障りの無い無難なことを言ったり、あるいは媚びていたりする方が、本音を言うよりも好かれるようです。私のブログの「賛成/反対」もそうですし、amazonのレビューなどの「参考」票などを見ていても、またそれらに関する意見の書かれたブログやサイトを見ても、その姿が見えてきます。

厳しい意見は往々にして嫌われるものですが、それに限らず、数年前のKY風潮も含めて考えれば、人に媚び諂い、建前で生きていくほうがよほど無難な人間関係になるのでしょう。私の恩師は「媚びないこと」を座右の銘にしていらっしゃったそうですが、社会はそれを許容できるのでしょうか。地動説に大手を振って賛成したガリレオ然り、人生論ノートを著した三木清然りで、自分が正しいと思うことで、その根拠も話せるようなものであっても、権力側からすればそれは単なる邪魔なのです。

内部告発には勇気がいるといいます。それは自分の属する集団に対する楯突くことだからではないでしょうか。「ばれへんかったらええんや」とばかりに悪事を働く集団で、それに対して楯突くことで自分が損害を受ける。内部告発の報復事件はあとを絶ちませんし、公益通報者保護法も十分でないという意見があるようです。これも、「媚びていれば大丈夫なのに」ということの事例です。

戦後の日本は戦前とは違うといいます。けれども、本音が言えない状況は戦前も戦後も、いや、ずっと昔から変わっていないようです。私はまだ本音をよく言っている方ですからまだましな環境ですが(とはいえそれで嫌う人もいますが)、もっと強く「本音が言えない」状況に陥っている人もいるのではないでしょうか。日本国憲法で表現の自由が保証されていても、我々は結局のところ人間の柵で規制されており、言いたいことを言えない状況になっているのだと思います。

私は自分の書いた文章で媚びてばかりいる人を批判したことがありますが、問題はそこだけではないのです。媚びることによる利益が本音をいうことよりもよほど甘美だという風潮をなくさないと改善しないのだと思います。度合いの違いこそあれ、「意見を言う」ということについては、今の日本でも、戦前の日本でも、魔女狩り時代のヨーロッパでも、同じことではないでしょうか。「思っていても黙っているのが美徳」とはいわれますが、自分が悪いと思うことすら言えずに悪事に加担していくのが美徳なのだというのは間違っています。

本音を言うと嫌われ、媚びれば嫌われない世の中で、媚びることのできない私などは損な性格だと思います。こんな環境が強くなっていけば、やがて悪事は正当化されることでしょう。「戦前の日本は悪かった、報道などが規制されて、言いたいことも言えなかった」…報復は違うかもしれませんが、結局今もその風潮は変わっていません。戦前の「本音」を言う状況が悪い悪いと言っているかもしれませんが、少し前のKY風潮なども鑑みて、我々日本人は戦前の状況を創りだそうと躍起になっているのです。戦前も戦後も、本音をいうことについては権力側に規制されるか政府に規制されるかの違いしかありません。確かに色々な活動ができ、戦前よりは多く本音を言う機会がありますが、結局その本音も「言える」だけでしかないのです。言ったら嫌われると考えれば、風潮が変わったとは言い難いところです。戦前の日本が悪かったのは「政府による」表現の規制があったから、というところでしょう。政府でなければ表現の規制をしてもいい、そんな印象をうけることが多くあります。

本音が言えない世の中。媚びれば嫌われない世の中。気質が変わらなければ、その世の中は変わらないことでしょう。表現の自由についての誤った解釈で、「なら人を罵ってもよいだろう、表現の自由だ」という話がありますが、似たような問題が潜んでいるように思います。人を罵ってはいけないのはその当人が不快感を抱くから、もっと法的に根拠を求めれば名誉毀損罪になるからでしょう。では、内部告発は?簡単です。会社に不利益を与えるからいけないのです。たとえ世論が正しいと言おうとも、会社に不利益を与えるから、内部告発はダメなのです。法的根拠はないですが。

不利益を与えるからダメ、不快感を与えるからダメ、と言っているだけでは話になりません。「他が嫌がることを言うな」などといいますが、あまりに短絡的です。内部告発すべきところを本音で賛成している人は罰を受けるべきでしょうが、本音ではそう思っていないのに、保身のために言わないような、そんな状況は「他が嫌がることを言うな」を強く意識しすぎているように思います。自分が「正しい」と信じる根拠に足る本音を言えない世の中が続くのであれば、独裁者統治は目前です。

「言い方」はあるかもしれませんが、信じる根拠に足る本音はまともに言えるべきです。ある人に至らない部分を見つけたとして、それを罵倒するのはあまりよくないと言われ、それを指摘するのは問題ないとされる、これは言い方の問題です。言い方いかんを問わず本音を言えないような世の中は独裁へ向けてまっしぐらです。

きっとこの意見も「本音」ですから反対票が多いことでしょうね。

2010年10月26日火曜日

虫の死刑,人の死刑

昨日のことだった
一匹の蛾が
部屋に迷い込んできた
命を奪うことなく
部屋から出してあげた
もしかすると少し弱ったかもしれないが

夏のことだった
部屋には蚊がいて
たたきつぶしていた
次から次へと命を奪っていた

2年前だったか
スズメバチの巣が裏に出来た
危ないからということで
業者に頼んで
巣を取り除いてもらった

虫は人に害悪を成したとき
殺されたり
住処を奪われたり
そもそも近寄らないような防衛線をはられたり
いろんな「刑」を受けるのだね

今日テレビで
死刑の求刑の話があった
死刑は重すぎると
弁護側は言った
ならばそれは懲役になるのだろうか

虫は害悪をなしたら
裁判もなく死刑にされる
それは害悪をなしたから
窃盗や殺人よりも
もっと些細な害悪だけど
そんな害悪をなしたから

蚊をためらいもなく殺す人類に
蜂は危ないからと駆除する人類に
どうして
死刑なしができよう
害悪をなした人間を殺してはいけない
害悪をなした虫は殺していい
同じ「生命」なのに


学校でも世論でも
死刑の有無を論ずる

そんなご時世だけれども
死刑反対と言って
貴方は害虫を殺していやしないか

死刑の賛否は多種あろう
けれど死刑に反対するなら
害悪をなした虫を殺していい理由もないはずだ
死刑をなくすべきならば
なぜ殺虫剤をなくさない
死刑がありというならば
人の肌にかゆい出来物を作った程度で
死刑にしていいのだろうか

人間は
人間以外の生命を
無意識のうちに差別する

日本は危うい
日本という名前がなければ
どこまでも冷酷になれるから
…そう、中島みゆきは歌った

ならば人間は危うくないか
人間という種でなければ
どこまでも冷酷になれるのだから
人間は危ういのだ
その生命存在そのものが危ういのだ

なぜ人肉を食してはいけないのか
その問の答えを差別以外に見出せない
誰か教えて欲しい
どうして牛肉は食べてよくどうして人肉を食べてはいけないか
どうして植物は食べてよくどうして牛肉は食べていけないと菜食主義者は言うのか
生命の差別以外の答えを

2010年10月25日月曜日

ハリー・ポッター検定に挑戦してみました

ハリー・ポッター検定
http://www.geocities.jp/harry_fan_net/harry-kentei/index.html
に挑戦してみました。当ブログでもよく紹介しているハリーポッターですから、私も少しは得点できれば、と言う次第です。結果・感想を書いてみます。ちなみに、準1級までは80点、1級は90点合格です。

5級:さすがに100点満点ですが、即答というわけにはいかず、ほんの少し考えて、思い出してみないといけない問題がありました。残り時間は9分22秒(10分中)でした。

4級:90点/100点。マグルとは何かという記述式問題に「非魔法族」と書いて不正解になったのが解せません。記述式はやはりサイトに使うべきではありません。残り時間は13分51秒(15分中)でした。

3級:90点。こっちは正当に90点で、特に文句のある部分はありません。少々悩みますが、それでもとことん厳しいという印象はありませんでした。残り時間のメモを忘れました(^^;

準2級:80点。さすがに少々難しく、覚えていない問題が散見されます。忍びの地図の件を覚えておく必要がありそうに思いました。残り時間は9分12秒(10分中)でした。

2級:80点。読み込んでいるというレベルではなく、憶えてないと無理だという印象です。少々対策をすればというレベルではありません。ただ、読み込んでいるなら合格点は取れるようです。7分中6分28秒残りました。

準1級:80点。7巻迄読んでいて逆に迷った問題が1つ、問題自体が今ひとつと思ったのが一つ。前者は多分6巻までの何処かに記述があるのでしょうが、7巻で別のものが出てきて、それゆえにそちらではないのか?と思ってしまいました。後者については、多分解釈の違いではないかと思います。ルーピン教授の発言を適用するかしないかというところです。3分中2分9秒の残り時間でした。

1級:70点。唯一不合格になってしまいました。7巻の内容はないですが、6巻までをそれこそ一字一句覚えているレベルでないと厳しいと思います。5分中2分18秒残りです。その記述がある場面がなんとなく思い出せるけれど…というレベルの問題が多かったです。

以上、準1級までは全て合格し、1級だけ不合格。これなら一応、ハリーポッターの記事をかいても問題ないと思います。

2010年10月24日日曜日

fuente不参加

fuente、参加する予定だったのですが、今このブログを書いている時間になっても眠くならず(興奮しすぎ…?)体調いまいちなので、取りやめにいたします。皆様ご了承ください!

雑題集~文具とPCと紅茶と~

色々と雑記。

1.Windows7(Windows version6.1)発売1年
WindowsのVersion6.1が発売してから1年が経ちました。Windows6.0(Vista)発売後、あまりの悪評に作り直したらしいWindows7、パソコン関連のチラシも最近はWindows7(6.1)かXP(5.2)になりましたね。とりあえず、Version6.1のくせに7と言う名前をつけた詐欺まがい商法のWindowsはずいぶんと変わったようで、現在6.0が入っている自分のPCが恨めしいぐらいです。来年には新しく買いたいところですが。

2.文具券廃止
私もよくお世話になった文具券、今年末を持って廃止だそうです。図書券も図書カードになった時代、文具カードってできないかなぁ・・・と思いますが、業界内の人でも「厳しい」とくらい予想が聞かれる文具業界、正直文具カードを求めるのは不可能な気がします。1万円分も文具買う人はごく一部ですし・・・。

3.プラチナ「年賀状を万年筆で描こう」キャンペーン
併催で、万年筆購入におまけを付けるキャンペーンも。対象商品はプレジールなど、安いものばかり。パイロット・セーラーに比べて地味な印象と(初心者に)よく言われるプラチナですが、私の知る限り、現行定番万年筆で14K,18Kが最安値で手に入り、初心者用の万年筆も充実している素晴らしい会社です。インクもいいものが揃っていますし、蒔絵コンバーターもなかなか面白く、好きな会社の一つです(ただ、高級ラインがパイロットやセーラーに比べて一段見劣りする気はしますが。)。初心者に向けては最高の会社の一つであるプラチナのこのイベント、プラチナの「万年筆布教戦略」なのでしょうね。私も応援しています。当ブログ管理人は万年筆を布教するすべての会社、すべての個人を心より応援いたします。

4.Google Chrome OSは来月か
ずっと以前からGoogle Chrome OSと検索をかけると、今年中、あるいは今年11月リリースと言われているのですが、さて、どうなのでしょうか。大変注目しているOSです。ベータ版レビューは後日このブログで行ないます。

5.新たな紅茶を知って
iGoogleのガジェットに入れている「ALL About Gourmet」、ここで、おすすめブランド紅茶特集(http://allabout.co.jp/gm/gc/322268/)が出ていました。いつもどおり、「どこかな?」とみにいって、1ページ目はまぁ、いつものだな、と通り過ぎました。2ページ目、Laduree、全然聞いたこともなかったので、ふと見ると銀座!ナイスタイミング、後でfuenteの時行ってみよう♪と心踊らせております。その下のTWG teaは日本上陸時からずーーーーーーーーーーっと気になっているのですが、なぜか自由が丘に行く機会がなく、まだ行っていません。

雑題でした。