2010年10月23日土曜日

<未来日付での投稿> fuente当日日程

fuenteのoff会の参加予定を大幅変更致します!
行くのは一日だけとし、行脚内容も変更します。
あわせてくださっている皆様、大変申し訳ありません!

10月24日のみの参加とします。
10時頃より13時頃まで:紅茶・文具を中心とした銀座行脚(菊花賞馬券購入を含む)
13時過ぎ:会場到着後、講演会終了まで。
オークション前に:会場を抜けて、もう少し紅茶・文具を中心とした銀座行脚をします
その後帰宅。

すいませんが、会場にいるのは24日の13時から講演会終了までとさせていただきました!
お会いできる方、よろしくお願いします。また、変更につき問題の出てしまった方、大変申し訳ないです、ご了承くださいませ。

2010年10月22日金曜日

ついに公開!万年筆布教概論

いろいろあって、WAGNER投稿したものの、「公開は自分のHPでしてもらえると助かる」と会長がおっしゃるので、私のHPで、PDF「万年筆布教概論」を公開いたしました!

右側のリンク集から見ていただければ、と思います。
本ブログと内容を変更しましたので、読んでいただければ幸いです。

2010年10月21日木曜日

演習問題の解答

特に洋書あるいはその翻訳版を購入した場合に多いのですが、「学生が解答を見てしまうという誘惑に負けないように」解答を載せない、という本を多く見かけます。単に紙数の都合や著者の手間の都合だと私は思うのですが、あまりにそう書いている本が多いので少し気になりました。

学生の中にも「解答を見てしまう誘惑が・・・」という人がいるのですが、それもなぜいけないのか、と思います。わからない問題、あるいはすぐに手がつきそうな問題について、ひとまず手本を示してもらうのは勉強の一つの手段だと思います。高校から受験数学に向けて、一番勉強になったのは「こうやって解いていく」解答を見せてもらったところでした。宿題やテストなどで「解答が既にある」のは困るのかもしれませんが、そうでなければ解答はあって問題のあることはないと思います。宿題に出す、などの配慮をしている本もありますが、正直、全問題解答なしというのは授業での使用を目的としており、わざわざ書籍にする必要はないのではと思います。私もいくつかのドキュメントを記しましたが、簡易な解答を付したり、授業利用が主となる場合はそれを明記したり、独学中心のものは解答例を示したりしています。

解答を付す事について文句を言ったりする人がいますが、私はそれには賛成しかねます。解答からも学ぶことがあると思います。特に、私がよく説明するプログラミングについては、ひとつの解答例と自分の解答例がどちらも正しく動作するとき、それらを見比べることで多くを得られます。

解答例を避ける傾向にある書籍ですが、解答例はむしろ積極的に付けるべきだ、というのは私だけなのでしょうか。そういうのは全部演習問題書に任せればいいのでしょうか。練習問題の少ない、プログラミング入門の分野を見ていて特にそう思います。

2010年10月20日水曜日

ハリーポッターの名言6:「私に誇れることがあるとすれば」

これを聞いてすぐにどこから引用したか分かる人はちょっといないのではないでしょうか。これは「名言」なので当然地の文からは引っ張っていないのですが、さて誰か。全文では
「私に誇れることがあるとすれば、それは、君がそれほど多くを学んでくれたということだ。」
と書いています。ルーピンが3巻で去り際に残す言葉です。真の意味での教師として素晴らしい言葉なのではないかと思います。

以前、大学への数学という雑誌に、何度か名前が載ったことがありました。数学が好きなのもありましたが、それ以上に、色々教えてくださった先生のおかげだと感じましたから、お礼を言いに行ったとき、その先生が仰った一言を今でも克明に覚えています。
「私は何も教えられてはいない。生徒の勉強の方向を示し、やる気を出させるために何かをすることはできるけれども、そういった実績は貴方のがんばりの証だ。」
その先生は今、私の母校とは別の学校で教鞭をふるっていらっしゃるとのことですが、大変お世話になった先生であり、今でも会いたいと思うことも多くあります。

ルーピン先生のこの一言、教えることもある自分にとっては至言の一つとなっています。私が教えたことではなく、君が学んでくれたことが嬉しい、それが誇りである。そんな考えを持つことができるから私は教えることができるのであって、そう思えないならば私はもうとうの昔に教えるということを真剣に考えることはなかったでしょう。

今でも後輩に色々教える機会があります。時には、留年した自分の元同級生がより先の質問をしてくることもあります。そんな中で、相手が私の言葉から何を学んでくれるか。多くを学んでくれることがやはり一番うれしいし、後輩の幾人かは、私が教えたことを指針にしてくれたとも言います。私はコレといって教えられる人間ではありませんが、しかしながら、教えてくれと言われるときに、相手が多くを学び取ってくれることに誇りを感じるのであれば、教えるのには向いているのかもしれません。何も学ぶところなき私から、なぜか学ばれる多くの友人や後輩に強い尊敬の念をいだきます。

2010年10月19日火曜日

やった!アパパネ三冠だ!

秋華賞でアパパネが、追い込んできたアニメイトバイオを振りきってゴールしたのが17日の15時45分ごろ。友人の大きなテレビで見させてもらっていた私は思わず歓声を上げました。

ちょっとだけ買っていた馬券も、+690円、と健闘し、ありがたい限りです。

アパパネの三冠は、競馬を初めて間もない私にとっては「こんなに早く三冠が見られるなんて」と驚きのものでした。私が馬券を買い始めてまだ1年経っていないからです。本当にラッキーな年に競馬を始めたと喜んでいます。

2010年10月18日月曜日

誰も書かなかった中島みゆき論ベスト200を聞いてみよう その9

ついに第9回です。たまったらHPでまとめます。
61位~70位ですね。

ALONE,PLEASE:61位。なんとなく、曲調が大人っぽくて、"Leave me Alone,please"のリフレインが静かに響きます。この一言が、泣いているところを隠している、そんな大人を表しているのだろうと思います。そう思うと、まだまだ私は子供で、むしろ昔からの、「泣けなくなるなら大人になりたくない」という思いが頭をもたげてきます。"Leave me Alone,please"、私にはあまりないですが、それでも友人で幾人かそういう人が居て、一人で始末してしまうのをすごいなと感じながら、大丈夫かなとも思ってしまいます。

歌をあなたに:67位。「あんまり淋しくて死にたくなるような日は、この手の中の歌声を受け取って歩くのよ」の一節が好きです。寂しくて死にたくなるような日、というのはものすごく具体的で、あまりに実感できるという怖さがありますが、それでもそんな日に「この手の中の歌声を受け取って歩く」、何もできなくても歌を贈るという温かさが現れています。そんなあたたかい声があって、私は寂しさを克服できたのだと思いますが、しかしながら、寂しいと死ぬというのはうさぎだけではなく人間でもあり、それを何とかするという意味でも、先の一節が大好きで仕方ありません。

五才の頃:68位。いろいろな解釈があるみたいですが、私はそこまで深い解釈はできませんので、もう少し浅い、感想です。「泣きだそうとしても 泣き顔がない」それが現実です。私は泣きますが、でも泣き顔がわからないのです。なぜなら、心で泣いても、体で泣いた覚えが無いからです。少しだけ、ほんの少しだけ、後輩たちの心遣いに嬉しくて泣いたのがいったいいつだったでしょうか。本当の意味で泣くのがいつなのか、そして、今泣き顔のなくなった自分は、泣き顔を手にできるのか、5つの頃を思い出して…という気のする歌です。

2010年10月17日日曜日

専門は自分が決めるのではなく人が決めるものだ

タイトルは私がお世話になっている先生の言葉から。先日の講義の中で仰ったもので、大変心に残りました。

私を世間一般の「立場」あるいは「所属」的な面から見たとき、専門は気象学ということになるのでしょう。ところが、私のことを知っている友人と話をしていると、それが多く分かれてくるから面白く、そして悩みもするのです。

ある友人は、私の専門は気象学だといいます。自分の友人の中でこれほどまでに気象に興味を持っている人はいないといいます。それが事実かどうかはわかりませんが、少なくとも数年前の私は気象学についてはそれなりに勉強しようと志していました。今、それと同じモチベーションを保てているかどうかと聞かれると疑問符が残るのが情けないところではありますが・・・。

別の友人は、私の専門は情報学だといいます。確かに先日情報処理学会学生会員としての登録を済ませました。しかし、所属という側面から見れば私は理学方面の人間であり、工学方面ではありません。趣味としてプログラミングやアルゴリズムをやっていて、システムいじり等もやっていますが、しかしながら、気象学よりもやる気が起きてしまうというのは、私がこちらの適性を持っているということなのかもしれません。

また別の友人は、私の専門が数学だといいます。これほどまでに数学マニアである人間は達哉んを差し置いて知らないといいます。数学は確かに楽しく、趣味としても読んだり解いたりしていますが、それが専門だと言われると正直それだけの知識はないように思います。例えば私は整数論が好きですが、イデアルについてはその言葉が何を意味するのかすら知りません。高木貞治著「初等整数論講義」もずっと読んでいません。

他にもいくつかの学問分野が専門だと言われますが、人数で言えば概ね、気象と情報がイーブンで、その1/4ぐらいが数学専門という感じです。実際、私が最も研究してみたい分野はかなり情報よりの、しかしながら気象学にも絡むものです。多くが言う以上、「専門は自分が決めるのではなく人が決めるものだ」から、言われるとおりにとれば私は気象と情報が専門ということになるのでしょう。

それでも、専門がひとつに絞られず、たまに「日本語専門の間違いでは?」等と言われるのは嬉しい限りです。興味の続く限り貪欲に知識を吸収したいと思っていますが、私の本棚には、数学・物理・情報学・気象学以外に、天文学や日本語学の専門書もあります。多くの意見を取り入れて私が気象と情報の間の子の専門だとすれば、その二つを存分に学びたいと思いますし、同時に、他の分野についても理解していきたいものです。