2010年9月28日火曜日

万年筆布教論12 「あとがき」

--以下本文--
本文の意図したところは、ロボット化の進む現代において、それを止める一つのツールとしての「万年筆」をよく知る者が、それをどのように広めていくかを示すことにあった。広める手法は唯一無二なものではなく、これ以外にも多数あるだろうが、一つの例示として何らかの道を示すことができたならば本文は及第というところであろう。宣教師として活動している筆者の経験をもとにした論を記すことは、ある種普段学生をみている教師が「学生のつまづきやすいところ」を丁寧に解説することに似ている。これは効果のある場合が多いと考えられるが、逆に教師の自己満足に終始してしまうこともある。本文の内容も同様に、効果のある場合も少なからずあろうが、必ずしもこれがバイブルとして通用するわけではない。そういう意味で、事例を紹介することを主眼とさせていただいた。これにより、少しでも万年筆を使う人が増えれば幸いである。

本文を書こうと思い立ったのは、自分が多数の布教を行っているということと、fuente49号に寄稿した拙文によるものである。その文中で、私は「万年筆は人間のロボット化に対抗するための武器である」と主張した。人間のロボット化というのは、将来的にAIが発展し、ロボットが人間の水準まで達するという意味では当然なく、現在の人間が心というものを失いつつあり、義理や人情といったものを失い、友情を失い、ひいては人間のもっとも強い力である愛情をも失いかねないということである。効率優先の中で、人間を単なるモノとして扱っていないか。私に手紙をくれる多くの知り合いはロボットではない。血の通った人間である。私は、その状況を少しでも長く維持するために、万年筆布教論を記したのである。(なお、その主張をした内容については、近日、ホームページ「達哉んの応接間」に掲載予定である)。

この論を記しているうちに一つ思ったのは、万年筆のハードルは高い、ということである。それは、一本目を買うハードルが高い、というところだけではない。そのハードルを取り除く方法は十全に記したつもりであるが、それだけでなく、情報を集めるのが難しい。雑多な情報は整理しづらく、結果として万年筆についての正確な情報を得るのが難しくなっている。私は、その点の改善を訴えかけていきたいと思う。布教論を一つの課題の完了とするならば、次の私の課題は(インクフロー定数の決定問題を除けば)そういった情報の収集整理に関する論である。活動と言い換えたほうが正確かもしれないが、fuenteやWagnerにも協力してもらい、一つの万年筆データベースを作成したい。万年筆データベースサイトが然るべき形式で仕上がれば、万年筆コミュニティの発展と万年筆会全体の発展に大きく寄与するだろうと確信している。特に「万年筆インプレ広場」はその先駆けであり、それをも内包したより良いデータベースサイトコミュニティを構築したい。私の意見にしか過ぎないが、これを読んでくださるWAGNER会員、fuente会員、その他万年筆関連の人々に協力をお願いしたい。無論これらは、WAGNERやfuenteとは(協力はするが)別の団体活動でありたいと思っている。

最後になったが、本文にお付き合いいただいたことを深く感謝する。
--以上本文--

2 件のコメント:

チェリー さんのコメント...

ぺん★ぱれーどっ!のチェリーです。

 当ブログにコメントをいただき、ありがとうございます。遅くなりましたが、リンクを張らせていただきました。今後とも当ブログを宜しく御願いします。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>チェリー さん
こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします。