2010年8月15日日曜日

文章と本人のギャップ

色々なところで言われることですが、私は文章と本人のギャップが激しいのだそうで・・・。

とりわけよく言われる事として、文章では割合ダークで色々と考えを巡らせているように見えて、実際はギャーギャーうるさい賑やか担当である、ということです。ギャップが凄く激しくて、人によっては同一人物かと疑われることさえあります。

私自身は普段は良く話す人間だと言われます。声も大きくて高いため、はっきり言えばやかましい、うるさい、ということになります。そういう人間が例えば2箇所で行われている会話に同時参加しようとするような場面もありますから、うるささ増大です。

私の頭は常に何かを考えていないと気がすまないようです。何も考えていない時間は殆どありません。それゆえに眠れないのだとは思うのですが、思考停止が極めて苦手です。ゲームをやりながらプログラミングのことを考えているなどざらなことで、文章を書きながら別の会話に参加するなど二つの思考的作業も問題なくやってのけます。不思議です。

そういう体質のためか、ゲームをやっていても常に考えていて、例えばそれなりの腕があると言われる桃鉄などは、ほとんど考えているように見えないぐらい速いペースでプレイしていると言われます。別に威圧目的などはないですが、速くて焦る、ということもたまに言われます。

自分がわいわい話している中で、思考はいつも動いていて、それを書き記したのが文章ですから、2つのギャップは会話中のギャップでもあります。会話をしている裏で、私は別のことを考えながら会話を成立させてしまうようなことすらあるのですから。

そんな文章と本人のギャップは、別に当人が二重人格であるということではありません。思考が常にあって、それを表現する雰囲気と思考内容にギャップがあるだけです。どちらが本当の自分というのではなく、どちらも自分自身だと思っています。それでも、異常なネイティブ思考しかしない自分は、本来の自分とは違ったものだと自分自身でも思いますが…。

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